語りき

京都の芸大→東京でWEBディレクタ→編集やらイラストやらディレクタ業→そして、母になる

言葉は誤解を生じるものだが、あえて無責任にも発言をして人間は学び・成長をしている

若いなあっと自分のことを思うことが大変多い日々


子供を産んでいない24歳の個人的解釈なのであしからず
(小さな誰も見ていないブログでさえこんな言い訳を文頭に書いているなんて、うっとうしい)


※前提としてわたしは障害というものに関して、ある福祉関連企業の思想に
一部納得していて、基本的に「障害は社会の側にある」とは思っている

 

出生前診断で染色体異常が分かって、そして産まないという判断は、
倫理的にどうなんーつーことを会社で部長達と話していて

部長の言っていることに「なんかおかしい」と思ったが、
適当にはぐらかされてしまったので家に帰って改めて考えていた


まあ結局倫理的にどうかっていうんは各自の判断で
それ自体は各家庭の事情もストーリーもあるので
産まないという判断も十分にありでしょとは思うと言ったところ
(健常者障害者関係なく産む産まないという判断は存在するし)


それは選民思想であり
大きな枠でいうと、世界は金髪碧眼白人だけになる

といわれた

 

それはサウスパークにあったお話*1にすごくにてて
そもそも金髪碧眼白人がいいなんて概念が古すぎてなんともいえん
遺伝子の話だし多数決でいうと中国・インド圧勝、中華思想であればゴールなのでは〜とか

 

あとやや選民思想〜のお話と障害の話は
区別しなければならない
ちがうものだから、やっぱり


障害はやっぱり障害だから
今はまだ個性ではないから 
なんらかの助けが必要、つまりお金が必要なのは事実

そもそも出産という行為自体両親のエゴだけれど脳死に近い状態の我が子を産むという判断は誰のための命かというところで


 

あとね、部長は軽度の障害までしか想定してなさすぎるんちゃうかしら

 

 


そんな今日の映画は「ローズマリーの赤ちゃん」です
怯えてみてください

 

 

*1:第4シーズン第8エピソード「Chef Goes Nanners」